主張 「大連立」に関連して
平成19年11月21日 解放新聞広島版 福田、小沢の両党首会談は、茶番劇のような格好で、一応の幕となった。
どちらも、党利党略で、相手を「一杯喰わそう」という気持ちがあった。
福田は「大連立」でアメリカ奉仕の政権を安定させようとねらった。
小沢は、国連決議と日本国憲法との関係で、自己の主張の整合性(恒久法のこと)を約束させることであった。
どちらも、大きく目を見開いて考えるとき、アメリカの世界戦略体制の一環を担うことに他ならない。
アメリカは武力による威嚇と、その行使によって、世界を思うままに動かそうとしている。
→あんたらは糾弾闘争によって、広島を思うままに動かそうとしていたじゃないの?戸手高校事件、八次小学校事件について反省してねーだろう? いま世界中が、「一喜一憂」の矛盾極まりない資本主義の時代に入っている。
→いま部落解放同盟は「差別で副収入」を稼ぐ矛盾極まりない拝金主義に浸っている 「資源」「環境」のこと、そして、「マネーゲーム」など、不安材料は人類の生存を脅かしている。
→人権擁護法案が成立すると、えせ同和行為を跳梁跋扈し人々の生存が脅かされる可能性も。 こんなときに、平和憲法をもつ、日本という国が、アメリカンスタンダードの矛盾の後追いをするのか。それとも憲法にいうところの「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼する」姿勢でアメリカやイギリスをたしなめつつ、しかも、自らをきびしく律していくのかということが問われているのである。
→こんなときに、中国の言う南京大虐殺30万人説を鵜呑みにし、従軍慰安婦や強制連行を韓国・北朝鮮に謝罪しろと主張し、旧社会党時代は拉致事件を捏造と断言していた勢力が、八鹿高校事件、広島で相次いだ学校関係者の自殺、その他数々の問題行動を起こしながら一切反省しないのは矛盾しているし、こんな団体が、「それとも憲法にいうところの「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼する」姿勢でアメリカやイギリスをたしなめつつ、しかも、自らをきびしく律していくのかということが問われているのである。」と語る資格はない。 これからも「大連立」はくすぶるのであろうと、マスコミを操る論者は、しきりに世論をあおっている。
→広島県連を牛耳る者も、しきりに世論を煽る新聞を作成している。 しかし、一方では、戦前、戦中の大政翼賛会のような政情になると警告しつづけるものもいる。
こんなときこそ、人間性の根本のところを考える部落解放運動が、自らを「被差別から解放」する理論(方途)の立場から、人間観、社会観をしっかりと確認しながら、歩みつづけ、運動を前進させなければならないのだ。
だが、現実はそのようなことになってない。
大阪、京都、奈良などの不祥事も、危惧される材料である。しかし、このようなことは、部落解放運動そのものと分かち難く結びついた矛盾、理不尽というより、むしろ、今日社会の不合理な構造的欠陥というべきものである。
→でた!部落解放同盟名物組織防衛的発想!朝田理論大炸裂!12日に「提言委員会」でも「組織防衛的発想が先立ち、過去の不祥事の教訓が生かされなかった」と指摘されていたでしょう。また、小西邦彦は昭和40年代から解同の支部長をやっていた。広島県連最高顧問の小森龍邦が委員長をやっていた時も当然支部長の地位にあったわけだ。管理監督責任から逃げるな!部下が勝手にやったとでも?人権団体の述べる言い訳かよ(大爆笑W 運動の不祥事を免責するために言っているのではない。
→いや、言っているでしょう(滝汗.... 社会のすみずみに至るまでいろいろな衣をかぶって、不祥事はおきている。
→特にあんたらが深刻でしょう守屋次官と、防衛省と取り引きのある山田洋行という会社のありようなど、政権関連のところにおきている問題を考えれば、一目瞭然である。
大阪の飛鳥会の事件などは、国家犯罪と言うべき防衛省のやっていることを見れば、社会矛盾の「ほんの門さき」程度のものである。
→大悪を持ち出して小悪をかわす。人権を讃える人たちの思考回路はこんなもの。利権屋・人権屋丸出し。それ以前に、同和利権の真相で指摘されているように、学校関係者を自殺に追い込んでおきながら何を言うのでしょうか?学校関係者の自殺に関与していないというのなら、なぜ寺園氏に反論しない? だが、社会意識としての差別観念の存在は、マスコミなどを通じて、部落解放運動の責任にし、世の中の全存在をかけた重要事件のように宣伝した。
→解同名物周りが悪い論。悶絶。絶句。 ここで考えなければならないことは、このような陰謀じみた宣伝と、当該地方自治体の「悪乗り」に対して、正しく方向付けをする闘いができなかったということである。
→ここで考えなければならないのは、幼稚な言い訳と都合の悪いことは周りが悪い論に対し、毅然と対処し批判しなければならないということである。自浄能力がない組織であるということである。 部落解放運動の正当性が主張しきれなかったことは、
→意に沿わぬものを差別者に仕立て上げる活動に正当性など元から存在しない。「部落解放基本法」制定運動の終末期に「21世紀は人権の世紀」だと「一喜一憂」段階に入っているアメリカンスタンダードを美化する方法によって、方向を狂わせてしまったからである。
緊急に理論的な立て直しと取り組み、「悪い社会」は「悪い」として批判し、真の解放を求める理論を再生しなければならないのである。
>「「悪い社会」は「悪い」として批判し、・・・・」口八丁は聞きたくありません。
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